『エイリアン』の日本語版小説は昭和54年(1979年)5月31日初版発行となっている。映画『エイリアン』の公開日は米国が1979年5月25日、日本公開は同年7月21日とされているので、小説版の発行はほぼ映画公開と同時期に刊行されている。
映画製作と並行して執筆されていたであろう小説版。映画版では描かれていない部分や、映画版との違いについてまとめる。
破裂するゼノモーフの卵/ケインのヘルメットを溶かす描写
LV-426に降り立って、ケイン、ランバート、ダラスがスペースジョッキーの宇宙船を発見して探索する場面。まず、映画版との大きな違いはなんとスペースジョッキーが登場しない。そのかわり、ノストロモ号がLV-426に降り立つ原因となった12秒おきの信号を送っていた発信機を発見するという流れとなっているが、ダラスたちはそれ以外には何も見つけられない。
映画『エイリアン』に登場するスペースジョッキーは宇宙の未知の存在を示すとても印象的なオブジェクトだがそれが小説版ではバッサリカットされているというのは驚きだった。
この後、宇宙船の床に開いた穴から船内下部へケインが降りて行くとゼノモーフの卵を発見するというくだりはほぼ映画と同じだが、映画版とはゼノモーフの卵とフェイスハガーのデザインが一部異なっていた。
ケインがゼノモーフの卵を発見し、観察する場面の描写。
さらに身を乗り出して、彼は卵形体の側面をひっぱり、つぎに上面をひっぱった。なめらかな表面には、手がかりとか割れ目らしきものはまったくなかった。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p117
たったいま、彼の触れた卵形体の強靭な表面に、小さなこぶが音もなくあらわれた。第二の突起がそれにつづき、さらにいくつかがつぎつぎに噴き出して、やがてなめらかな表面はいぼだらけになった。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p118
映画版のゼノモーフの卵は頭頂部が開口する形状になっていて、表面も最初からいぼいぼっぽいデザインになっていた。しかし、小説版では最初、表面にはなめらかで割れ目のようなものはないが、やがて表面が変化していくと描写されている。この初期状態の卵は映画版のポスターやパッケージに多数使われていた卵のイメージとそっくりだ。
昔、映画を見終わって、本編とこのパッケージとで卵のデザインがかなり違うなと思ったことがあったが、当初はこのデザインイメージで製作が進んでいたが映画版ではそのデザインが変更されて、それがこのビジュアルイメージと小説版に残ったのだろう。
小説版の卵の形状が変化するというのはより未知の生物感が増す演出だが、これを映像化するのは当時のSFX技術ではなかなか難しかっただろう。
このあと映画版と同様、卵の表面が透明になって中身が見えるようになっていく。
そのものは基本的に手の形をしていた。多数の指ーーー長い、骨ばった指を手のひらに丸め込んだ手。余分な指がある以外は、骸骨の手に非常によく似ている。手のひらの中央から、なにかがつきでている。ーーーある種の短いチューブのようなもの。手の下には、一本の筋肉質の尾がとぐろを巻いている、手の甲にあたる部分にかろうじて見てとれるのは、つやのない凸面レンズ上のもので、ちょうど白濁した眼球を思わせる。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p119
このデザインはフェイスハガーの初期のデザインをベースにしている。
彼(ケイン)はまた一歩近づくと、よく見えるようにライトを持ち上げた。
その目が動いて、彼を見た。
卵形体が破裂した。とぐろを巻いた尾にひそんだエネルギーが急激に解放されて、その力で外へと飛び出した手は、いきなり指をひらいて彼につかみかかった。彼は腕をあげて払いのけようとしたが、一瞬遅かった。それは彼の顔面のプレートに貼りついた。ぞっとするほど間近で、彼はその手のひらの中心に生えたくねくねしたチューブが、自分の鼻先、数センチと離れていないガラスをなでまわしているのを、まざまざと見てとった。なにかがそのチューブからしみだして、顔面プレートのガラスを溶解しはじめた。パニックにとらわれて、彼はそのものをむしり取ろうとした。それはプレートと突破した。冷たく荒々しい異性の空気が、人間の呼吸できる空気とまじりあった。なおも弱々しくその手をひきはなそうとしながら、彼は気を失って倒れかかった。何かが執拗に彼のくちびるをこじあけようとしていた。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p119~120
長い繊細な指が、破れた顔面プレートからすべりこんできた。それらは彼の頭に達し、側頭部にからみついた。と同時に、太い尾がするりと彼の喉にまわり、蛇のように頸に巻きついた。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p120
映画では卵から飛び出したフェイスハガーがケインのヘルメットに張り付くという一瞬のみ描写されたが、小説ならではのこの詳細な描写がめちゃくちゃ怖い。小説版『エイリアン』で一番、怖いのはこの場面だった。
映画では詳しく描写されていなかったが、ケインのヘルメットはフェイスハガーのパワーみたいなもので突き破られたわけではなくて、チューブから出る(おそらくは)酸性の体液で溶かされたのだとわかる。自分のヘルメット越しにこんなことされてるのを見てたら、めちゃくちゃ恐ろしいよね。
アッシュへの疑念
小説では映画よりもアッシュへの疑念がいろいろな場面で描写されている。
チェストバスター誕生後にダラスはなぜケインの体内にチェストバスターが潜んでいることに気づかなかったのか問い詰める場面がある。
そもそもこれ以前に、フェイスハガーがまだケインの顔に貼り付いていた時、X線で体内を透過すると肺の上に小さな影が映っていた。ダラス、リプリー、アッシュはこの影を見つけていたが、アッシュはこれはレントゲンのレンズの不調の可能性があると指摘。X線のパワーを上げて黒い影の正体をつかむようにダラスが言うが、これ以上放射線量を上げるとケインの身体にダメージを与える可能性があると反対していた。
ダラスは黒い影の件を含めて、マザーコンピュータとアッシュが、ケインの体内で起きていたことに気づかなかったはずがないと問い詰める。
ケインは肺の上の影はチェストバスターが自己防衛機能でX線の波長を曲げて姿を消していた可能性を示唆する。
このやりとりでは明確にダラスがアッシュに疑念を抱いていることが読み取れる。小説はこのアッシュへの疑念と共にストーリーが続く形となりサスペンス色も強く漂わせている。
また、映画のディレクターズカット版にも含まれていたリプリーがランバートにアッシュと寝たことがあるかると尋ねるシーン。正直、ディレクターズカット版でなぜリプリーがこんなことを聞いたのかよくわからなかったのだが、小説版ではこの理由が示される。
ランバートはアッシュはそういった(女性に対する)興味があるように思えないと語る。この場面でリプリーもなぜこんな質問をしたのかと聞かれたら答えに窮すると考えているくらい、頭にこびりつくわずかな違和感だと描写されている。リプリーはアッシュが女性に対する興味を持たない=何か人間らしさの欠落を感じていていることを示唆する。
映画ではアッシュへの疑念は小説版よりかなり抑えて描写されている。映画版の描写の仕方は、アッシュがアンドロイドだったとわかる時の衝撃が大きくなって、映画としてはこちらの方が正解だったと感じる。一方でビジュアルでインパクトを見せることができない小説版では、アッシュへの疑念が明確に示される方がこの先の展開への不安感や謎を提示することで読者の緊張感を引き出していて、双方でよい描写の仕方を選択しているなと感じた。
エアロックの攻防
ダラス退場後に火炎放射器の補給に向かったパーカーがエアロック前にゼノモーフがいるところに出くわす。そこでゼノモーフを宇宙船外に吹き飛ばそうとするシークエンスが描かれる。
このシーンはパーカーと通信しながらエアロックを開けるリプリーとランバートの場面が一部撮影もされていてBlu-rayなどの特典映像で見ることができる。
船外につながるエアロック前のスペースにゼノモーフが入ろうとしているのを見つけたパーカー。スペースに完全に入ったタイミングでリプリーたちに通信を送り、彼女らがスペース内にゼノモーフを閉じ込めて、エアロックを開放して船外に吹き飛ばそうとする。
しかし、作戦は敢えなく失敗する。
ゼノモーフがスペース内に入りきる直前に突然警告サイレンが鳴り響き、ゼノモーフが後ずさってしまう。無理に閉じ込めようとハッチを閉めるがゼノモーフの身体の一部がドアに挟まり、出血。あたりに酸の血液を撒き散らしながら逃げ出していく。傷を負ったエイリアンはパーカーを投げ飛ばして逃げていく。
リプリーがパーカーを助けに駆け付けたタイミングで、エイリアンの血の影響でエアロックのハッチを破壊され、宇宙空間に空気が流出。非常ドアが閉まるがころがっていたメタンのシリンダーがドアに挟まり完全に閉まらず、パーカーとリプリーは危機的状況となる。急速な空気の流出はハリケーンのようだと描写されていた。リプリーは空気が薄くなる中、なんとかシリンダーを外して緊急ドアを閉めて空気の流出を止める。
ここで、パーカーはエアロック前にいて、リプリーとランバートはエアロックのボタンを押すために備えていた。なぜ警告サイレンが鳴ったのか。
その後のシーンでリプリーはマザーにアクセスして、サイレンを鳴らしたのがアッシュであることを突き止める。ここでアッシュがゼノモーフを庇おうとしていることが明確になる。
ここまで積み重ねられたアッシュへの疑念とゼノモーフを撃退できるチャンスを逸したショックも相まって、ここでの衝撃は映画と同様大きかった。
リプリーの鼻血
このエアロックのシーンではもう一つ映画版を補完する要素もあった。
小説版ではエアロック前でリプリーが空気を漏れたのを止めたが、その際の減圧の影響からかリプリーが鼻血を拭うという描写がある。
映画ではアッシュが正体を表す際になぜかリプリーが鼻血を出していた。ここもなぜ急にここで鼻血が出たのかよくわからなかったのだが、このエアロックの一件の後にこの場面につながるので、ここでの鼻血が止まりきっておらずに、再びここで出血が始まったのかもしれない。
エアロックのシーンは一部撮影もされていたので製作中はこの流れで製作されていたが、最終的にはエアロックのシーンがカットされてしまったので、唐突な鼻血のシーンになってしまったのかもしれない。スコット監督がリプリーと赤い血とアッシュの白いアンドロイドの血液を対比的に描くために鼻血を流させたのかもしれないが、逆に小説版ではアッシュと対峙する場面でリプリーは鼻血を流さない。
そういた製作経緯があったとしたらと考えると、長年の謎が腑に落ちた。
ウェイランド湯谷のシナリオ
終盤で正体を現したアッシュはパーカーとランバートによって破壊される。その後、部分的に修理されたアッシュはウェイランド湯谷のこのエイリアン捕獲計画について語るのだが、ここも映画版より詳細な計画が語られている。以下、アッシュのセリフ。
わたしは《ノストロモ》があの信号キャッチするように、その針路を予定された航路から変えるか、あるいは乗組員に変えさせるよう働きかけること、《おふくろ》が乗組員を超睡眠からめざめさせるようプログラムすること、そしてまた《おふくろ》の記憶に、あれが遭難信号だというでたらめをあんたたちに聞かせるよう、プログラムを組みいれることを命じられた。あれが遭難信号ではなく警告であることは、会社の専門家たちは既に知っていたのだ。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p324
映画では謎の信号は偶然ノストロモ号がキャッチしたのかどうかは明確に描かれていなった。
小説版では意図的に信号をキャッチするように針路を変えることをアッシュはウェイランド湯谷社から命じられていることが語られる。また、信号自体もすでに湯谷社で解析されていることもわかる。
ちなみに《おふくろ》とはマザー・コンピュータのことで「マザー」とるびもふられていた。小説版が刊行された1979年当時はまだ日本ではマザー・コンピュータという単語は一般的ではなかったのかもしれない。映画の日本語吹き替え版のフジテレビ版と呼ばれるバージョンでもマザーのことはおふくろさんと呼ばれていた。
あの信号の発信源で、われわれはある生命体を調査することになっていたーーー会社の専門家があの信号からひきだしたかぎりでは、まずまちがいなく敵意を持っているはずの生命体だ。そしてそれを、何らかの商業的用途を見いだすため、会社が観察と評価の用に役だてられるよう、地球に持ち帰ることになっていた。むろん、適切な判断のもとにだ。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p325
映画版では湯谷社がどの程度エイリアンに関しての情報を得ていたかも明確ではなかった。少なくとも敵意をもった危険な生物であることはわかっていたようだ。だからこそ特別指令937で「乗組員の生死は問わない」という文言が含まれていたのか。
次はリプリーのセリフ。
地球は言うに及ばず、他のいかなる有人惑星にも、危険な異星生物を持ち込むことは厳重に禁止されてるわ。ところが、あたしたち単純なタグボート乗りたちが、偶然それに出くわしたというかたちをとることで、会社は”はからずも”それが地球に到着したように見せかけることができるわけよ。あたしたち自身は監獄にほうりこまれるかもしれない。だけど、その生物については、何か手を打たなくちゃならないわね。当然、会社の専門家たちが、その危険な生物の到着にそなえて待機している。それが着きしだい、税関の役人の手から取り上げようという魂胆よ。ーーーむろん前もってその引渡しがスムーズにいくようにたっぷりと鼻薬も嗅がせてね。そしてもしもあたしたちが運がよければ、会社はあたしたちの保釈金を払ってくれて、その後の身のふりかたも考えてくれるーーーあたしたちがうわべどおりのお人好しのばかだってことを、当局が納得しさえしたらすぐにね。まさにあたしたちはそのとおりだったんだけど。
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p325
湯谷社の計画ではノストロモ号が地球に戻ってくるときにはあくまで偶然によるものとして、エイリアンを持ち込ませようとしているということもわかる。その責任はリプリーたち乗組員の過失ということで処理しようとしていた。税関から取り上げられるレベルの生物と考えていたところを見ると、湯谷社の持つエイリアンに関する情報は完全ではなかったようだ。アッシュは以下のようにも語る。
あいにく会社の首脳部には、このエイリアンがいかに危険で、しかもすぐれた能力を持っているかという認識がなかったのだよ
アラン ディーン フォスター (著), 深町 眞理子 (翻訳) .エイリアン .角川文庫,1979,p329
こんなやべえ生物とは知らずに地球に持ち込もうとしていたとは、この時点で人類滅亡させかねない超危険企業だったのだ。
以上が小説版と映画版の違いについての紹介でした。
コメント