【映画レビュー】ゲットアウト

概要

Amazon プライムで見た映画レビューです。今回見た映画は『ゲットアウト』。2017年の映画で、ホラー映画と紹介されてるようですが、自分的にはサスペンスくらいの印象です。ホラー苦手な方でも見られると思います。

『ゲット・アウト』予告編

この映画の1番面白かった点は鑑賞1回目と2回目で全く違う面白さが味わえるところ。もしかしたら2回目の方が面白いかもしれない。この映画、ネタバレ情報がいろんなサイトで解説されてるように、真相部分が面白い系の映画なので、まずはネタバレなしでぜひ一回見てみて下さい。見終わった方はまたここに戻ってきて下さい。笑

あらすじはこちらでご確認ください。ゲット・アウト – Wikipediaja.m.wikipedia.org

なぜ2回目がおもしろいのか

大抵の映画は初鑑賞が1番面白いと思いますが、この映画は伏線がたくさん張り巡らされていて、その伏線が初見と2回目ではまったく異なる印象を与えてきます。初見ではこれらの伏線が不安感や謎を提示してサスペンス感を強める役割を果たしています。それが2回目に真相がわかった状態で見ると、あ、これそういう意味だったのかというのはもちろんですが、人物のセリフや行動が初回と2回目でガラッと違う意図に見えてゾクゾクしてしまう。

セリフはウソをつく

映画などの映像演劇ではよく「セリフはウソをつく」という言葉があります。これは登場人物の想いや真意はセリフ通りに受け取ってはいけないっていうことの例えです。例えば、あるキャラが「愛してる」と言っていたとすると目の前にいる相手への愛情の表現になるはず。でも、そのキャラがその後で相手を刺し殺してしまったら、このキャラは異常者かと思える。でも、殺した相手を事故死に偽装して保険金を受け取ったら、愛情のセリフは相手を油断させる言葉でこのキャラは狡猾な保険金詐欺師になる。でも、さらにこの後、獲得した保険金を全て寄付して、「相手の気持ちが自分から離れる怖さには耐えられない」とか言ったら、愛情のセリフは嘘ではないが、単純な愛情表現以上の深みと、このキャラの愛情不信という意味合いが付与される。例えばこんな風にセリフの意味合いを他の要素で補完して読み取ることでキャラクターの微妙な心情を理解しないといけないよという話し。漫画や小説でも同様の表現はありますが、映像演劇は微妙な仕草や表情の変化、声のトーンや背景の音楽も絡んでくるのでより複雑な表現が可能になってます。

ゲットアウトでは主人公を取り巻くキャラクターたちが様々なセリフを喋りますが、そのどれが本当でどれが嘘か。そして、そのセリフや行動の真意がわかるととてもゾッとする構成になっている。これら伏線の張り方が前に出過ぎず、出なさ過ぎず、絶妙のバランスになっていて、2回目に見るとそれらの整合性がビシッと取れているところが面白く、ゾクっとするところ。

例えば中盤でクリスがローガンの写真を撮った場面。クリスの携帯のカメラがフラッシュを放ってしまうが、それを見てローガンがクリスに掴みかかり、ここから出て行け!と叫ぶと倒れてしまう。ディーンからてんかんの発作と説明を受けるが、ローズは急に掴みかかってくるなんておかしいと言い返す。初見ではアーミテージ家の親類は異常な何かを隠しており、それがフラッシュを浴びせられた事で襲ってきているように見える。ディーンはそれを隠しており、ローズはクリスの庇ってくれているように見えた。でも、2回目に見るとこのシーンはフラッシュを起因にローガンの中のアンドレ・ヘイワーズが表面に出てきて、クリスに危険を知らせていた事がわかる。そして、ローズはクリスの味方を装い彼を安心させる役割を続けている。

差別?

この映画はこの手の差別的なテーマを扱うことが多い監督の作品なので、谷人差別化がテーマになっているとよく言われる。アメリカにおける黒人差別の感覚は僕ら日本人にはわかりにくいところだけど、クリスがローズの家に行く時に、自分が黒人であることをもう家族に伝えたか?と気にして聞いてくる場面が出てくるように、やはりそこはかとはあるみたいだね。

他にもその差別意識が透けて見えてくる部分がある。この映画でアーミテージ家の人間は自分たちの脳を黒人の脳と入れ替える。何故かとクリスが聞くと、黒人は優れた身体能力があるからだと言う。身体能力の素晴らしさは認めるけれども知能は自分たち白人が上だと考えているということだね。もし、知能の面でも自分たちより優れてると思っていれば、知能も含めた乗っ取り方法が描かれていたはず。

僕たち日本人も多分、自分の娘が交際相手として黒人を連れてきたら、ドキッとするだろう。日本人のこの動揺って差別というよりは、異文化が入り込んでくることへの戸惑いという表現が近いだろう。黒人だろうが白人だろうがアジア人だろうが、似たような反応をする気がする。こういう感覚の日本人たる自分だからか、この映画ではあまり黒人差別という点の印象は受けなかった。

差別の裏側に見える暴力

差別というのは自分たちの方が相手より上の立場だ、優れてるんだといった決め付けをもとにして不当な扱いをすること。アーミテージ家の人たちは少なくとも黒人の身体的な能力には魅力を感じている。だから、単純な差別という構図ではなく、それ以上の暴力的なものを感じる。黒人たちは自分たちより知性で劣るが身体能力は優れている。その優れたものだけを奪う侵略行為。と、同時に侵略された側は死よりも苦しい、乗っ取られた自分の身体が白人の好きに使われる様を見続ける死よりも苦しい拷問を受ける。

相手への憎しみではなく、自らの発展のためだけに、相手を尊厳ある人間ではなく、単なる利用価値のある存在としてしか見ない。ゲットアウトの白人たちが見せるこの暴力は、黒人だからという理由ではない、ただ奪いたい魅力あるものを持った人間がいて、それができる力があるというだけなんだよね。ある意味、アメリカ開拓時代のインディアンから大陸を奪っていくのと似ている。

現代人はただ力があるから相手から何かを奪うということはしないだろうけど、この暴力性は人間、というより生物としての本能。生きるために相手を殺してその肉を食べるという行動は僕らも今、家畜や魚に対して行なっている。それは動物相手だからだよとも思えるけど、生きるためにという観点では、世界大戦時代の各国も同じ。生きるために他国の人間を殺していた。

ゲットアウトでクリスと脳を入れ替えようとしたのは盲目の画商ジム・ハドソン。彼はフォトグラファーを一度は目指すも才能のなさを自覚して画商になるも、その頃視力を失った。ジムは画商としては成功したが、彼にとって視力のない生活は苦しいものだった。その渇望の中にいるジムにとって、写真家として活躍するクリスが見る景色を手に入れることは、「生きるために奪う」に等しいほど価値があったということ。凝固法という「奪う」方法を手に入れてしまったジムは内に潜む暴力性を止められなくなってしまった。

ゲットアウトは、人の中に必ずある生きるための暴力性描いている。

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