2023年1月現在、「エイリアン」シリーズの映像特典が最も充実しているメディアソフトは「エイリアン・アンソロジー:ブルーレイBOX」になると思います。
この映像特典ディスクにメイキングも多数含まれていて、この中の<モンスターの裏側:『エイリアン』メイキング>をメイン教材として第1作「エイリアン」の成り立ちをまとめたいと思います。
「エイリアン」の萌芽
「エイリアン」というSF映画の金字塔と言われる作品の誕生はダン・オバノンという人物がスタートとなっています。
オバノンは大学生時代に南カルフォルニア大学で映画を学んでいました。そこで、オバノンはジョン・カーペンターと出会います。彼らは在学中にに「ダーク・スター」というアマチュア映画を製作します。
カーペンターはのちに「遊星からの物体X(1982年版)」や「ハロウィン」、「ゼイリブ」を撮る人です。SF界の未来の巨匠が奇跡のコラボをしてたんですね。
「ダーク・スター」は元々は50分ほどの16ミリ映画でしたが、オバノンらが大学卒業後に映画プロデューサーのジャック・ハリスにより、劇場公開のチャンスを得ます。
ハリスはオバノンたちに、シーンを撮り足して長篇映画化して劇場公開することを提案します。
しかし、ハリスは大した製作費も出さず、オバノンたちはかなり苦労したようです。オバノンらの苦労の末に「ダーク・スター」は35ミリの長編作品として1974年に劇場公開されました。
しかし、オバノンは「ダーク・スター」の出来には満足していませんでした。登場するエイリアンはビーチボールに足を付け足しだけの怖くもなんともないデザインでした。
そもそも観客の反応も芳しくなく、SFコメディでありながらも観客が少しも笑わない様子を見て、オバノンはひどく落胆したそうです。
オバノンはこの時の落胆をバネにしてもっとリアルなエイリアンを描く作品を作りたいと思うようになります。
これが「エイリアン」の萌芽ということになります。
ロナルド・シュセットとの出会い
オバノンは次は恐怖を軸にホラー映画を制作しようと考えます。この時点での映画のタイトルは「Memory」とされていました。
オバノンにより以下のようなプロットで導入部分までの脚本が作られます。
航行中の宇宙船の中で冷凍睡眠から目覚めた乗組員たちが謎の信号をキャッチしたことを知らされ、調査を開始した結果、謎のモンスターに襲われる
この時点で「エイリアン」の骨格はすでにできていましたね。
さて、一方、2人目のキーマンであるロナルド・シュセットがロサンゼルスにやってきます。シュセットはニューヨークで舞台のプロデューサーをしていましたが、ニューヨークは肌に合わんということで、故郷のロサンゼルスに戻って映画プロデューサーに転向します。
シュセットは「ダーク・スター」をきっかけにオバノンと知り合い、意気投合して一緒に映画作りを進めることになります。
オバノンはまだ冒頭部分しかできていなかった「Memory」の脚本をシュセットに見せ、2人で脚本をさらに書き上げていくことになります。
オバノンとシュセットのコンビは後々、シュワちゃん主演の「トータル・リコール」の脚本も手がけます。SF大好きなんですね。
運命のいたずらホドロフスキー
ここで運命のいたずらにより、アレハンドロ・ホドロフスキーがオバノンに映画制作の声をかけます。ホドロフスキーはフランク・ハーバード原作の「デューン/砂の惑星」を制作しようとして、様々な人材に声をかけていました。
しかし、結局この作品は構想や予算が莫大になり過ぎて、企画が頓挫し、実現には至りませんでした。
それもそのはず、キャストとして、サルバドール・ダリやミック・ジャガー、オーソン・ウェルズなどがキャスティングされてましたが、何でも銀河皇帝を演じるダリは自身の出演料を1分間で10万ドルを要求したとか。ダリの出演料だけですごいことになりそう。
オバノンはこの作品では特殊効果担当として誘われていました。そして、ここが運命のいたずらなのですが、オバノンはこのスタッフの中で建造物デザインとしてアサインされていたHR・ギーガーを知ることになります。のちにギーガーはエイリアンをデザインすることになるスイスのデザイナーです。
というところで長くなってきたので続きはまた別の記事で。
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