近年、ゾンビものの映画やドラマが比較的コンスタントに公開されていて、ホラー業界の根強い人気コンテンツになっている。「ウォーキングデッド」は有名だし、最近でもHuluと日本テレビの共同制作で「君と世界が終わる日に」があったし、Netflixでは「今、私たちの学校では」が配信中。
ゲームのバイオハザードシリーズでもゾンビが敵キャラとして登場するので、近年の知名度アップに一役買っているだろう。
ゾンビものというと元祖はジョージ・ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」あたりになると思うが、これはかなりカルトな流行り方をしたと思っていて、アメリカ初公開していた時期には日本では劇場未公開だった。
なので、日本を含め、世界的にゾンビというキャラクターを知らしめたのは1978年公開の「ゾンビ」(原題:Dawn of the Dead)でしょう。
自分は小学生の頃にビデオレンタルでディレクターズカット版を借りてきて見たのがファーストコンタクトでしたが、その時の印象としてはあまりハマらなかったなという感じ。
ゾンビもの自体はそれ以前にも見ていて、ゾンビのエポックメイキング的なインパクトがなかったのもあるかもしれない。
最近、YouTubeの「日刊ゾンビ」さんを見るようになり、このチャンネルはゾンビ専門ショップを開かれている生粋のゾンビファンの店長さんがいろんなゾンビコンテンツを展開してて、楽しんでます。
店長さんが取り上げるコンテンツとしてやはりこの「ゾンビ」は回数も多く、店長さんも本当に好きなんだなというのが伝わってきて、改めて見てみたいなと思い、見てみることにしました。
あらすじ
テレビ局の職員・フランはテレビ局で生放送中の番組の放送業務にあたっていた。番組では学者と司会者が討論していた。
学者は死者が蘇り、人類を滅ぼすと警告する。司会者や局の職員たちの多くもその話を信じられずにいる。
しかし、国内の至る所で起きる混乱は原因がハッキリわからないまま広がっていることは事実であり、局内も極度の混乱状態でまともな放送を継続できるような状態ではなかった。
番組では救護施設の情報をテロップで流していたが、それは古い情報で半数は閉鎖されていた。フランは誤った情報を非表示にするが、上司は誤った情報でも表示していれば視聴率が取れると継続を指示する始末。
フランの同僚であり、恋人でもあらスティーブは局のヘリコプターの操縦士として働いている。スティーブはフランに今夜、SWAT所属の友人とフランを連れてヘリで脱出することを伝える。
場面が変わって、犯罪者グループが潜むアパートメントに突入するSWAT隊は犯人たちと交戦しながら、アパート内のゾンビとも戦うことになる。SWAT、犯罪者グループ、アパートの住民、ゾンビが入り乱れ、極度の混乱状態で命を落とす人々。
混乱の中でSWAT隊のメンバー・ロジャーは同じくSWATのピーターと出会う。ピーターはゾンビたちを安らかに眠らせるため、銃で頭を撃っていく。それに手を貸すロジャー。
ロジャーはピーターに友人とヘリで脱出することを話し、一緒に逃げることとなる。ロジャーの友人はスティーブのことだった。ロジャー、ピーター、スティーブ、フランは合流してカナダに向けてヘリを飛ばす。
ゾンビを倒す唯一の方法は頭を破壊すること。途中、ゾンビたちをレクリエーションのように射殺していく集団を横目にスティーブたちのヘリは飛行を続ける。
やがてヘリはあるショッピングモールを見つけ、屋上に降り立つ。ロジャー、ピーターは物資を得られる可能性を考えてモール内に侵入する。
モール内には僅かな数のゾンビが徘徊しているのみ。ロジャー、ピーター、スティーブはモールの入り口を大型トラックで塞ぎ、モール内のゾンビを銃で処理する作戦を立てる。
そんなさなか、フランがスティーブの子を妊娠していることがわかる。こんな状況下で子供を産むべきか悩むフラン、スティーブ。
モールの安全を確保する作戦中にロジャーがゾンビに噛まれてしまう。ロジャーは負傷しながらも作戦を続行。モール内のゾンビを全て射殺し、安全を確保。一行はモール内の食料や物資で束の間の贅沢を享受する。
フランは、自分もできる範囲で力になりたいと語り、スティーブの交代要員としてのヘリの操縦や、ゾンビと戦えるよう射撃を身につけたいとスティーブらに伝える。
その後もロジャーの容体は悪化を続ける。痛みを和らげることしかできないピーターたち。ついにロジャーはゾンビとなり立ちあがろうとするが、ピーターによって射殺される。
スティーブらはテレビで外部の情報を得ていたが、放送は徐々に途切れ途切れとなり、外部の状況も悪化していることを感じさせる。
ある日、スティーブからフランが操縦を習うためにヘリを飛ばしている姿を略奪団に見つけられてしまう。
略奪団はモールの入り口を塞ぐトラックを動かし、ゾンビたちと共に中に侵入してくる。ピーターはスティーブに姿を隠し、略奪団が欲しいものを取って去っていくのを待つよう伝える。しかし、スティーブは自分たちが確保した物資を奪われることに我慢ができず、略奪団に向けて発砲してしまう。
これにより、ピーター&スティーブvs略奪団vsゾンビの三つ巴の争いが始まる。略奪団はゾンビたちを蹂躙しながら、モール内の物資を奪っていく。ピーター、スティーブはエアダクトに隠れながら移動し、略奪団を狙撃する。略奪者はピーターらの攻撃に混乱し、スキをつかれてゾンビのえじきになるものも出てくる。
徐々に犠牲者が増えていく略奪団。しかし、混乱の中スティーブも略奪団に腕を撃たれて負傷してしまう。負傷し、思うように身動きが取れなくなったスティーブはゾンビに襲われて噛まれてしまう。
生き延びた略奪団はモールを脱出していく。ピーターはスティーブの銃声を聞きつけ、助けに行こうとするが、躊躇する。
ピーターはフランのもとに戻り、スティーブが戻るのを待つ。しかし、数時間経過してもスティーブは戻って来ない。
ピーターの想いも虚しく、スティーブはゾンビ化していた。スティーブは生きていた時の記憶が残っているのか、ピーター、フランがいる隠れ家に向かって歩いていく。それに他のゾンビもついてくる。
ついにピーター、フランの前にたどり着いたスティーブ。ピーターはスティーブを射殺する。スティーブに続いて続々と侵入してくるゾンビたち。
フランは屋上に上がってヘリで脱出しようとするが、ピーターは絶望感を募らせ、その場に残るという。フランはピーターの援護により、ヘリにたどり着く。フランはすぐに飛び立たず、ピーターをギリギリまで待つ。
ゾンビに取り囲まれたピーターは頭に銃を向けるが、ゾンビが目の前まで近づくと、銃口をゾンビへと向けて発砲。翻意して、ゾンビと戦いながら屋上へ向かう。
フランはピーターがヘリに乗り込むと、ヘリを飛び立たせる。ピーターがヘリの燃料の残り具合を聞くと、フランはそう多くはないことを告げる。朝日が登る中、ヘリはモールを飛び去っていく。
この映画はホラー?
正直、この映画初見の時も含めて怖さはあまりなかった。ゾンビたちは人を襲い、食い殺すが、ホラー映画特有の怖がらせるような描写は少なく、かなり淡々と物語が描かれていく。
もっと怖がらせようと思えばそういった演出もできたはずだが、そこには力を入れておらず、この映画は本当にホラーなのかという疑問がわくレベル。
社会派ドラマというと言い過ぎだが、ホラー性と同じくらいそちら要素が強く表現されている。
ゾンビとは
「日刊ゾンビ」の店長は本作におけるゾンビは社会的弱者の比喩と考えている。店長の表現で言うと、勝ち組/負け組における負け組。
ゾンビたちは一人一人は動きも遅いし、力もそこまで強力ではなく、ピーターたちや略奪団にいとも簡単に倒される。また、人間の都合で殺されても、その人間は咎められることもない。この世界ではゾンビ一人一人はモブに近い存在。
現代の資本主義社会における強者/弱者を分けるのは経済の力だ。経済的弱者はゾンビのように働き、いつまでたってもそこから這い上がることはできない。経済的な強者にとっては弱者の一人一人の力に全く脅威はなく、大資本者から見ると一般の労働者一人一人はモブ化し、自らそ組織体の維持のためリストラなどして切り捨てても、咎められることはない。
世界はどんどんゾンビが増えていき、人間は徐々に減っていく。これは貧富の差が拡大し、貧困に陥る人は時代を経るごとに徐々に増えていく現代とも重なる。
資本主義を突き詰めすぎると、世界はほんの一握りの富裕層(=人間)と大多数の貧困層(=ゾンビ)となることを監督のジョージ・A・ロメロは予見していたのか。
欲をベースにした争い
資本主義社会において、人の行動を大きな左右するのは「欲」であり、ショッピングモールが本作の舞台になっているのは、その「欲」の象徴であるためとよく言われる。
であるが故に人間(ピーターらや略奪団)もゾンビたちもモールに集まってくる。
欲に飲み込まれた人間はやがて破滅するのも現代社会の常。略奪団はモールの物資を奪おうとしてゾンビのえじきになるものもいた。また、スティーブも略奪団をやり過ごせばよかったのだがモール内の品物への独占欲を抑えきれず、発砲してしまったことで後々、命を落とすことになる。
ゾンビたちは一人一人は力は強くないが、集団で襲いかかれば抵抗するもやがて力尽きた人間をえじきにできる。
勝ち組の人間も欲にまみれれば、弱者の数による反抗で自らも弱者に落ちる。
不祥事を起こしたり、行き過ぎた利益主義に走った企業や著名人は民衆からの批難で失脚し、弱者へと転落する。
ロメロの結論
本作のラストはピーターとフランがヘリで飛び立つところで終わるが、そこにはこのゾンビデミックは何も解決の兆しを見せていない。
加えて、彼らのヘリの燃料もそう多くはないことが示され、希望のほとんどないラストとなっている。
生きている人間が死んでゾンビになることはあってもゾンビが人間に戻ることはない。ゾンビは増える一方、かつ、徐々に物資もなくなっていく世界で希望を見出すのは難しい。
この大きすぎる世界の流れをピーターとフランのたった2人の力であらがえるとは思えない。
ロメロの中でもこの当時から資本主義に染まり続ける世界は不可逆的であることを強く感じていたのだろう。
しかし、世界が絶望的であればあるほど、その状況下でとても小さいが確かな希望が示される。
ラストで一度は自決を考えたピーターが翻意して脱出を選んだことで、絶望的な状況でも生きることをあきらめない人の姿が描かれる。
また、ピーターを信じてギリギリまでヘリを飛び立たせずに彼を待ったフランの姿も自分の危険にも関わらず仲間を信じた。
実は当初のシナリオのラストではピーターは自分の頭に向けた銃でそのまま自決し、フランは絶望してヘリのローターに頭をぶつけて自決するという希望ゼロの終わり方が予定されていた。
しかし、ロメロは最終的には人の中にある確かな希望を描くことを選んだ。
ロメロの中では世界には絶望しかない当初のラストの方がリアルだったのかもしれない。
しかし、彼は映画のラストのピーター同様、自らに銃口を向けながらもギリギリで人の中にかすかな希望を見い出したのだろう。
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